松山家庭裁判所宇和島支部 昭和50年(家)191号 審判 1976年1月09日
本籍・住所 愛媛県宇和島市
申立人 中山英子(仮名)
国籍 米国
住所 米国カリフォルニア州
相手方 ジェームス・ロバートソン・ジュニア(仮名)
国籍 米国
住所 申立人に同じ
事件本人 エリザベス・ロバートソン(仮名)
主文
申立人と相手方間の長女である事件本人エリザベス・ロバートンンの親権者に申立人を指定する。
理由
本件申立の要旨は次のとおりである。すなわち、
申立人と相手方とは昭和三八年一一月二〇日東京で婚姻して夫婦となり、昭和四一年九月一六日申立人は相手方との間の長女エリザベス・ロバートソンを出生し、昭和四四年三月四日相手方の勤務の都合上上記三名とも渡米したが、申立人は肉食によつて健康を害すると言う特異な体質者であつたため肉を多食する米国の生活に堪えられず、事件本人を伴つて昭和四五年四月二八日帰国し、その後相手方にも来日するよう勧めたが相手方はこれに応ぜずカリフォルニア州上級裁判所に離婚訴訟を提起し、昭和四六年四月一五日離婚判決が確定した。
しかるに今日に至るまで未成年者である事件本人に対する親権者の指定がなされておらず、申立人は帰国以来事件本人を引き続いて今日まで養育監護している。
よつて事件本人の親権者に申立人を指定することを求める。
本件資料を総合検討してみると上記申立事実は全部これを認めることができ、これに加えてさらに下記のとおりの事実を認めることができる。すなわち
1 上記渡米後申立人が米国での生活に解けこめなかつた反面、相手方も申立人の生活態度にことごとに不満をもち、申立人との共同生活は混乱と対立の連続で勤務上も大きな支障になるものとし、申立人の帰国後一九七〇年一〇月一日その依頼した弁護士によりカリフォルニア州上級裁判所に対し離婚訴訟を提起し、あわせてエリザベス・ロバートソンに対する監護権(oustody) は申立人に許与せらるべきこと、エリザベス・ロバートソンに対する扶養料は必要であれば支払をすべきこと、等を求め、カリフォルニア州上級裁判所は一九七一年二月一日離婚の中間判決(interlocutory judgement) を、同年四月一五日同終局判決をシヴイルコード・セクション四五〇六(1)により下して右判決は確定し、相手方と申立人は離婚するに至つたが、右各判決はエリザベス・ロバートソンの監護権(custody)乃至後見人(Guardian) に関してはなんらの判断もせず、同女の親権者は現在に至るまで未指定のままになつている。
2 相手方は一五ヵ年の学業歴を有する機械技術者であり、建物、動産等約六万ドルの資産を有し、年間に約一万四、〇〇〇ドルを稼得して生活し、エリザベス・ロバートソンに対しては相当愛情も有していて、申立人の帰国後当初は月額約一〇万円を、現在はかなり減少したものの月額約三万円をその養育費として送金しているものの、エリザベス・ロバートソンを自ら手許で監護養育しようとする気は全くなく、申立人がエリザベスを連れて帰国したのは、帰国に先立ちその監護、養育について話合つた際相手方は自分は仕事の都合上エリザベスを監護養育することはできないから申立人においてこれをすべきこと、養育費の送金はすると主張、申立人もこれを応諾したことによるものであつて相手方による前示送金は右話合の結果に基づいているものである。
なお前示のとおり相手方は離婚訴訟の提起に当たつて監護権(Custody)が申立人に対し許与せられるべきことを要請したのであるが、申立人が訴訟期日に不出頭のまま離婚判決がなされてこれが確定し、現実にも申立人がエリザベスを監護養育していることから相手方はカリフォルニア州上級裁判所の判決によりCustody が法的にも申立人に許与せられたものと誤解しており、いずれにしても相手方は自分にCustody が許与せられ、その手許でエリザベスを現実に監護、養育しようとする意思は全然ない。
3 申立人は写真業を営む実父中村守雄(大正三年生)とその妻美子(大正九年生)との間の長女で愛媛県立高校卒業後しばらく家業の写真業を手伝つた後東京方面で生活中(この間の消息については申立人は明確な説明をせず、詳細は明でないがいずれにせよ)相手方と婚姻したもので、前示のとおりエリザベスを伴つての帰国後は再び実父母の経営する写真業の手伝をし月額三万円乃至四万円程度の金員の支給を受け、また相手方からの前示送金を受けてエリザベスを監護養育しつつ生活をしているが、右家業は法人組織の形態をとつて相当盛大に経営されており、前示中村守雄、田村美子には月額計六〇万円の収入はあつて、申立人に支給される金員は比較的僅少ではあるもののこれと別に実父母は申立人の表記住所地に家屋を新築して与えるなど相当の援助をしており、申立人はここを市民的、社会的生活の中心とする意図で継続的に居住しており、現在のところ再婚する意思はなく、日本式に中村時子と通称して宇和島市立亀山小学校三年生として同校に通学し、最早や日本語しか理解できず、母国語には全く通じなくなつたエリザベスと同居してその監護、養育に力を尽くし、右申立人の実父母及び同胞(太一昭和二六年生で日大芸術科写真部卒業、家業を継ぐ意向、三女貞子昭和三〇年生東雲短大英文科在学中)もみな申立人の前示事情を諒察し、これを支援しようとしていて、その生活は安定しており、エリザベスも申立人に対しては勿論、これら家族によくなつき我国の生活に自然に馴染み、申立人はエリザベスを我国に帰化させたい意向で上記家族らもこれに同意している。
以上の事実を認めることができる。
ところで渉外的家事事件の裁判管轄権については現在明確な根拠となる国際条約等はなく、各国家がそれぞれの国内法によりその裁判管轄権を定めているものと解せられ、従つて国際的私法生活全体を通ずる普遍的条理に徴しつつそれぞれの国家制定法の解釈から右裁判管轄権の内容を推知するほかないところ、上記のとおりの事案にあつては子の親権者指定申立事件は我国民法八一九条、同法附則一四条の準用、家事審判法九条一項乙類七号、家事審判規則七〇条、六〇条により子の住所地(住所概念は我国法上のそれによる。)の家庭裁判所の管轄とされるから、その国際裁判管轄権もまた我国にあると解するのが相当(右裁判管轄権を認めることを不当とするような国際私法生活上の条理は上記事実に徴し認められない。)である。
そこで検討してみると本件は親子関係事件として法例二〇条、二七条三項により事件本人の父ジェームス・ロバートソン・ジュニアの所属するカリフォルニア州法に準拠すべきであり、同州シヴルコード一三八条は未成年子の監護権(Custody)につき「離婚訴訟又は別居手当請求訴訟においては裁判所は訴訟の係属中又は訴訟の最終審理において、或は又その後婚姻子が未成年である間いかなる時期においても当該未成年子の監護のため必要または適切と思われる命令を下すことができ、そしていかなる時期においてもこれを変更または取消すことができる。監護権を許与するについては裁判所は以下の事項を考慮せねばならない、すなわち(1)何が子の最善の利益と考えられるか、そしてもし子が自分で知的選好(Preference)をなし得るのに十分な年齢に達している場合には裁判所は問題処理に当たつて子のした選好を考慮せねばならない、(2)両親が子の監護権につき相反する権利主張をしているときはいずれの親にも当然の権利として監護権を許与することはない、しかしながら他の条件が同一であれば子が幼年の場合には母に子が教育及び労働又は仕事の準備をする必要のある年齢に達している場合には監護権は父に与えられるようにすべきである。」との趣旨を規定している。
右米国法上の監護権は子の教育、信仰、扶養等に関する権利と義務の複合体であつて(Homer H. Clark Jr. The Law of Domestic Relations in the United States 1968 第17章572頁以下)、監護権に関する裁判(Custody decrees) は通常の私法上の権利義務と異つて変動する環境状況に対応して子の福祉を維持していくため一旦下された後も静止的固定的な性質をもたず、可変的性質を本来的に有しており(Titcombv. Superior Court, 220 C 34, 39, 29p 2nd (1934). Barbara Nachtrieb Armstrong : California Family Law 1953.965頁以下)、監護権に関する裁判は当該州においてもまた当該裁判をした裁判所が存在する以外の他州においても(合衆国憲法のFull faith and credit の法理にも拘らず)子の福祉の必要に応じ自由な修正変更が可能であり、不可変更的判決(unmodifiable Judgements)と異り超州的(extraterritorial) 効果を有せず、他の州内ではその州の裁判所によつて変更されない限度で効力を有するに過ぎない(Restatement of the Law 2nd, Conflct of Laws 2nd Vol. 1, 238頁以下。§79。注b・c)。
かくして監護権に関する米国州際間の法抵触に関する判例、法理はいわゆる準拠法の指定と言う形ではなく、本問題に対する各州裁判所の裁判管轄権の問題としてとりあげられ、右管轄権を認める根拠となるべき要素は相当複雑で統一的把握は容易ではないが、前掲Restatement によれば、(a)子が州内に住所を有している場合、(b)子が州内に現在している場合、(c)監護権についての権利主張者がその州の管轄に属人的に服する者である場合の三要件のうちのいずれか一つがあれば足りるとされているが(前掲Restatement 237頁§79。注a)、このことは監護権に関する裁判管轄権を有する裁判所が必らず監護権に関する裁判をすることを意味せず、上記のうち子の住所のある裁判所が最も明白に子の利益との関連性をもち、その他の管轄裁判所はその裁判所による裁判が子の利益のため必要であると断ずる場合以外は訴訟維持を拒否でき、当該裁判所による監護権に関する裁判が実効を挙げ得ないと思料すれば訴を却下することも可であるとされる(同書238頁§79。注a)。
以上を総合すると米国の監護権に関する抵触法理によれば実体的準拠法指定の問題は裁判管轄権の問題と判然分離して論議されておらず、子の利益、福祉に最も密接に関連しており、従つて最も有効適切な監護権に関する裁判を下し得る裁判所が(その際最も重視すべき要件は子の住所地裁判所であるかどうかと言うこと。なお前掲Olark の著書三二〇頁以下参照。)その法廷地法に準拠して裁判を行ない、その後は未成年子の置かれた状況の変化に対応し、子の福祉を最高の指標として関係する管轄裁判所がそれぞれの法廷地法により必要な変更、取消の裁判を自由にすると言う原則が認められているものと解せられ、カリフォルニア州法においても監護権に関する右米国抵触法の法理を前提とするものと解せられ、同州上級裁判所が前示のとおり相手方の申立があつたのにも拘らずエリザベスの監護に関する裁判を全くしなかつたのも右法理を前提とし、我国に居住し申立人によつて事実上養育監護されているエリザベスの監護権の裁判をすることは有効、適切でないと判断したことによるものと推測される。
しかして右州際間の抵触法理論は特段の事情のない限り国際間の法律関係にも適用されるのであつて(前掲Restatement 38頁§10)、また米国法上監護権に関する裁判をなす際最も重視される住所は少なくとも一時的にはそこを家庭(Home)としようとする意図を持ち、かつ身体的に現在すると言う要件を満たせば能力者による選択によつて取得でき、また親と同居する未成年子の住所はその同居する親と同じとされ、また Home と言うのは個人が居住し、家族的、社会的、市民的生活の中心とする場所のことであるとされる(前掲Restatement 61頁、§15、62頁、§16、70頁、§18、88頁、§22、50頁、§12)のであるから上記認定事実によれば事件本人エリザベス・ロバートソン及び申立人の米国抵触法の概念による住所が表記我国法上の概念による住所と同一場所であることは疑を容れない。
以上によれば相手方の属するカリフォルニア州のそれを含め米国抵触法理上本件は事件本人の住所が存在している日本の裁判所が法廷地法である日本法に従つて適切な裁判をすべきものとされているのであつて結局我国法への反致が認められるから法例二九条により我国民法に従つて親権者を指定すべきところ、上記認定事実によれば申立人を事件本人の親権者に指定することが事件本人の福祉に最も適合することは明であるから我国民法八一九条同法附則一四条家事審判法九条一項乙類七号の規定を準用して主文のとおり審判する。
(家事審判官 石川哲男)